キリラム教の聖地アヤソフィア
トルコのカッパドキアでこのブログを書いています。
私の中でトルコはもうヨーロッパという認識だったので人が冷たいのかなと思っていました。
でもびっくり。
街を歩いていると日本語で沢山のトルコ人に話しかけられます。
イスタンブールの通りではでは、30メートル間隔くらいで握手を求められました( 笑 )
誰に聞いても日本人は大好きだよと必ず必ず答えてくれます。
日本語を話すトルコ人に何故日本語を話せるのかを尋ねると、全員日本に住んだことがある人でした。
ということはトルコは親日国、、?
調べてみると
トルコと日本が交友関係を深めた理由となる歴史的出来事を見つけました。
親日の始まりは1890年に起こった
「エルトゥールル号遭難事件」
この有名な出来事をなぜ忘れていた自分。。
日本史選択。。
「エルトゥールル号遭難事件」とは
1980年(明治23年)に
オスマン帝国(一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が和歌山県にある紀伊大島の海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した遭難事件です。
日本からの帰途、強風にあおられたエルトゥールル号は紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突し、水蒸気爆発を起こしてしまいます。
その時、600人もの人が海に投げ出されたそうです。
その出来事を知った大島村(現在の串本町)の住民は総出で救助や介抱に当たります。
当時、大島村の住民は台風の影響で漁にも出られず食料の蓄えが僅かでした。
それにも関わらず遭難した人々に食料や衣類を提供し献身的に救護しました。
この事件は死亡、行方不明者587名という大事件でしたが、大島村の住民により69名の人々が無事に生還できたそうです。
この事件をきっかけに様々な歴史的出来事が起こり、日本とトルコは交友関係を深めていきます。
こういった歴史的出来事がトルコ人が日本を好きだという直接の理由になっているかは分かりませんが、親日国であるというか、良いイメージを日本に持ってくれていることはわかりました。
そんなトルコにはいくつもの世界遺産が存在します。
私が一番気になったのは今から約1500年前に建てられたアヤソフィアというイスタンブールにある博物館。
アヤソフィアは現在は博物館として存在していますが、博物館として存在するまでの背景が面白いです。
アヤソフィアと検索すると
正教会(537〜1204年)
カトリック教会(1204〜1261年)
正教会(1261〜1453年)
イスラム教 モスク(1453〜1931年)
博物館(1935年〜)
と書かれています。
??????????????
教会でもモスクでもあった、?
どういうことだ?
と思い詳しく調べました。
実はアヤソフィアは
ビザンティン帝国(東ローマ帝国)時代にはキリスト教の大聖堂として、オスマン帝国時代にはモスクとして存在していました。
中央に巨大なドームがあり、このドームがアヤソフィアの最大の特徴となっています。
(中からみた中央のドーム)
このドーム
高さ56メートル、直径30メートルもあるんです。
重量を軽くするため、ロードス島で特別に焼かれた軽いレンガが用いられているそう。
現在建てられているアヤソフィアは3代目。
537年建立なのに3代目なんです。
最初の大聖堂は首都コンスタンティノープル(後のイスタンブール)に、コンスタンティヌス大帝の子であるコンスタンティウス2世により350年に建設が始まります。
そしてアリウス派(イエスの神性を否定して異端とされたキリスト教の一派)僧侶の司教アンティオキアのユードクシウスによって360年に献堂されました。
その当時、アヤソフィアは単に「大聖堂」とだけ呼ばれており、再建されても常に巨大なものだったため以後もこのように呼ばれていたそう。
いつからアヤソフィアという呼び名になったのかは明らかになっていないそうです。
2度目に建てられたのは415年。
404年にコンスタンティノープル大主教ヨアンネス・クリュソストモス追放に伴う争乱でこの聖堂が焼失すると、テオドシウス2世によってすぐに再建が行われ415年に献堂されます。
しかしこの聖堂も532年、市民の反乱(ニカの乱)における放火で再び焼失。
2度の焼失を経た後、ユニティニアヌス帝は直ちに再建することを決定し537年に今のアヤソフィアの元となる大聖堂が献堂されました。
「大聖堂」ということはまだキリスト教のための建物であるということです。
時は経って1453年。
ビザンティン帝国を守っていた城壁がオスマントルコ軍に破られてしまいます。
この時も帝国に残っていた人々はアヤソフィアや他の教会で奇跡が起こるのをひたすら祈っていたといわれています。
しかしその願いは叶わず、トルコ軍によって首都コンスタンティノープルは荒廃してしまいます。
オスマントルコのメフメット2世は、この荒廃した街をムスリム(イスラム教徒)にとって住みやすい街にしようとすぐに改革を行いました。
それによりアヤソフィアは急遽、教会からモスクへと改造されます。
キリスト教を思わせる絵画や文字などは漆喰で塗りつぶされました。
こうしてアヤソフィアはモスクへと改造されたわけです。
そして時は流れ1923年、トルコ共和国が誕生します。
政教分離(政治と宗教は分離されるべきであるという考え方)をかかげ、近代化をはかったトルコの指導者(アタテュルク)は、今度はアヤソフィアをモスクから博物館へと変身させます。
漆喰がはがされ、ビザンティン帝国時代の絵画を再び見ることができるようになったわけです。
そんな歴史を重ねてきたため、アヤソフィアではキリスト教とイスラム教を感じさせるものが同時に見られるという訳です。
カタカナが多すぎて誰が誰かわからなくなりましたが、アヤソフィアが教会でもありモスクでもある理由はこのような歴史的背景があるからです。
簡潔にまとめると
キリスト教のもの(聖堂や教会)として立てられる
→トルコ軍の侵略&改革によってイスラム教のためのもの(モスク)になる
といったところかな。
外観はピンクやオレンジを基調としたシンプルなデザインなのですが、内観が物凄く繊細なつくりでした。
細かいステンドグラスがいくつもあったり、壁や天井にあるどんなに小さな模様でも丁寧に描かれたことが伝わってくる造りでした。
何度焼失しても建て直し、且ついかに長く存在させるかを考えながら造られたという背景を知ると、人々の宗教に対する想いの強さを感じます。
これが約1500年前に造られていたと思いながら見ていると鳥肌が止まりませんでした。
1500年前といえば日本は古墳時代。
日本に仏教が伝わるか伝わらないかくらいの時代に、アヤソフィアは既に誕生していたわけです。
日本がどうとかいう訳ではなくて
単純に「トルコすげぇーーーーーーーーーー😧」となりました。
こういう背景を知ると実際に足を運んだときの感動が違います。
私もこの絵があの噂の!とか、あの造りが工夫したやつか!とか心の中でいちいち大興奮しながら見ていました( 笑 )
是非トルコを訪れた際は実際に足を運んでみてください。
トルコ自体が
アジアとヨーロッパのいいとこどり🎶
みたいな国なのでとても面白いです!