hinamana’s blog

【世界一周JKひなまな】のひなの方です

NO ENCOUNTER NO LIFE.

 

弾丸でイタリアに来ています。

 

今回のイタリアも恵まれた出会いから始まった旅。

 

あるものを目的に3泊4日だけ滞在します。

 

 

 

 

 

最近よく思います。

 

人との出会いというものがどれだけパワーを持っているか、どれだけ素晴らしいものか、どれだけ自分の原動力になっているか。

 

 

世界一周というもの自体が

みかみ先生とまなみとの出会いから始まったもの。

 

「なんで世界一周しようと思ったの?」

 

今までに何千回と聞かれ何千回と答えてきました。

 

「夏休みに塾の先生に海外に連れて行って貰って〜」

 

必ずこの一言から始まります。

 

「え!?塾の先生??」

 

必ずこの一言が返ってきます。

 

「それで2人で世界一周しようと決めて〜」

 

「よく同じ思いの友達が近くにいたね!」

 

この返事を聞く度に

世界一周が出会いから始まっていることを何度も何度も思い出します。

 

「親御さんは何て?」

 

「もちろん心配はしてくれていますけど、行ってらっしゃいって言ってくれました。」

 

「親御さんも凄いね。私だったらできないと思う。」

 

私と家族の出会いから始まっている旅でもあります。

 

 

自分は運が良いなとよく思います。

やりたいと思ったことを実行できる環境にあって、全力で肯定してくれる人がいて、アドバイスをくれる人がいて、自分がしていることを受け入れてくれる人が沢山います。

 

 

これまでの旅も

 

こんなに素敵な人達だけに出会えて大丈夫?

 

と不安になるくらい大切な出会いばかりです。

 

 

外国の人はもちろん、

日本にいたら絶対出会っていない日本人に出会えるのも旅の醍醐味だと思います。

 

性別も、年齢も、趣味も、考え方も、旅の仕方も、好きなものも、全く自分と違う人と繋がることって難しいと思いませんか。

 

 

新しい国に行く時は

その国にしかない観光地や街の雰囲気を観られるのを楽しみにすると同時に

どんな人が私と出会ってくれるのか、どんな人が待ってくれているのかを楽しみにしています。

 

自分にとって最高だと思える出会いがあったときはその国を離れたくなくなるし、また来ようと心に誓います。

 

前に進むことは大切だと思うけど、進む準備ができるまで自分を待ってあげることも大切かなと。

 

良い出会いができた時は相手に感謝すると共に自分を褒めてあげます。

良い出会いをひきつけたのは自分の力でもあると思うから。

 

 

旅をしている人って日本に否定的な意見を持っている人だと思っていました。

 

でも違った。

 

単純に"世界を見てみたい"と思っている人ばかりでした。

 

住みたい国を見つけた人もいれば、どの国に行っても日本での生活が一番好きという人もいます。

沢山の日本人に出会ったことで日本の良さに気づいたし、行ってみたい場所が増えました。

 

ふたつの選択肢があったときに

片方をおとして残っている方を選択するのではなく、両方の良いところを見てその中でもよかった方を選択できる人が多いです。

 

伝わるかな。

 

 

 

片方のここが嫌いだからもう片方にする

ではなく

どっちもいい所はあるけどこっちの方が自分は好きだからこれにする

 

っていう感じ。

 

 

旅をしている間は

自分の為に、自分の為だけに生きられるから、心に余裕が出来てポジティブな考えになる気がします。

 

 

旅を初めて約4ヶ月が経って、残り半分となりました。

 

時間が足りない!まだまだ旅してたい!

という思いと

出る前より好きになった日本を早く見たい!

という思いがあります。

 

旅をしたことで

外国も日本もより好きになりました。

 

 

私たちのことを見て

「豊かな人生ってこんな感じの旅なんだろうなって思う」

と言って下さる方がいました。

 

 

出会ってくれる人がいて、繋がってくれる人がいて、旅をして良かったと思わせてくれる人がいるから

豊かな旅に、豊かな人生になると思います。

 

 

NO ENCOUNTER  NO LIFE .

 

 

 

です( 笑 )

 

 

 

 

私と出会ってくれている方々

本当にありがとうございます。

 

旅中に出会った方もそうでない方も

実際にお会いした方もSNSの繋がりの方も

皆さんとの沢山の繋がりが私の原動力であり旅を続ける理由でもあります。

 

 

恵まれた環境と出会いに大感謝です。

 

 

ありがとうみんな!!ありがとう私!!

100リラで出来たこと

 

 

東トルコの街、トラブゾン

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東トルコも観てみたかったので1泊することにしました。

 

中心地から3キロくらい離れた

トラブゾンバスターミナルというところで降ろされました。

 

日本人に人気の宿

"Hotel benli"があるというのを聞いて実際に行ってみると閉まっていました。。

 

ドアが開かないのでガチャガチャしていると、近くにいたトルコ人に、手で✖を作られました。

英語が通じなかったので閉業しているのか休みだったのかは定かではないですが、疲れていたので隣の"Nur Hotel"に入ってみました。

 

高級そうな外観だったので値段を聞くのが不安でしたが、シングルルームは1泊1700円とのこと。

1番安い宿がHotel benliという日本人宿で、1泊1500円だったのでまあいいかと思い決定しました。

 

 

あとから調べてみると、2つ星ホテルでした。

 

ベットの寝心地◎

金庫がついている

シャワーとトイレが仕切られている

朝ごはん付き

屋上はいつでもコーヒー飲み放題

洗濯サービス◎

スタッフさんが愛想めちゃくちゃ良い

 

2つ星が納得のホテルでした。

 

トルコで困ったことは、booking.com が使えなかったことです。

イスタンブールは使えましたが、カッパドキアトラブゾンは検索しても何も表示されませんでした。

 

なので事前に調べておくと動きやすいです。

 

 

トラブゾンで街中を歩くと写真撮ってー!と話しかけられたり、すれ違ったほとんどの人が振り向いてきます。

 

観光客が珍しいのかな。

 

英語が通じない人がほとんどなので、ジェスチャー力が磨かれます。

 

私が1番難しかったジェスチャーは「明日」を伝えるジェスチャーです。

形無いものを伝えるのって本当に難しい、、

 

お互いに変なジェスチャーをしながら大爆笑したのがいい思い出です( 笑 )

 

完璧に英語ができる人はほとんどいないので、雰囲気イングリッシュが通じます。

 

意味は違うけど知ってる単語だけを駆使して話すので英語圏の人が聞いたら怒られるような英語も、なんとなく言いたいことが伝わって最終的に I understand !!!となります。

 

 

た〜〜のしかった〜〜😂😂

 

 

It's important to connect each other ☺️

 

と言われて

 

connect ????communicate かな???

 

 

となったりしながら話していました。

 

 

コロナの影響を心配していましたが特に何もありませんでした。

 

とにかくみんながみんなフレンドリー。

 

SiMカードが使えなくなるという携帯故障を起こしたため、分からないことはその辺を歩いている人に全部聞いて教えてもらいました。

 

英語が話せなくても一生懸命教えてくれようとする姿勢がとても温かかったです。

 

1泊にしたことを着いて2時間で後悔しました。

 

 

トラブゾン出発の日。

トラブゾンからジョージアトビリシに行くまでのバスまで時間があったので街をブラブラしようと外に出ました。

 

100リラ(約1800円)残っていたのでご飯でも食べよう〜と思っていました。

 

そして見つけたのがこれ。

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全部で26リラ(約470円)でした。

 

 

お腹いっぱいになって歩いていると靴屋を見つけたので東南アジアやインドで色々なものを踏んだ靴を買い換えようと入ってみました。

 

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もちろんメンズもありました。
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とにかか種類が豊富で

しっかりしている生地なのに安いんです!

 

革靴でも高いもので140リラ(約2500円)くらいでした。

 

私はReebokのスニーカーを39リラ(約700円)で購入しました。

トルコは値切る習慣があるらしく、個人経営のお店だと言わなくても値下げしてくれます。

 

お店のやつが高いな〜と思ったら、個人経営のお店に行くのが良いかも👌🏻

 

ローカルなお店からショッピングモール、レストランやホテルがあって、小さい街なので行動しやすかったです。

 

もうホテルに戻らなければ〜と思いながら帰ろうとしていると、、

 

 

35リラ!!!???

思わず入ってしまいました。

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違うお店の写真もありますが、1000円あれば可愛い服が手に入ります。

コートも2000円くらいで沢山ありました。

 

しかも機能性抜群。

 

買い物が好きだっていう人はトラブゾン最高だと思います。

 

26+39+35リラで合計100リラ!

 

大満足でした。

 

 

ホテルは少し値段が高いけど、食べ物や服、靴などはトルコの中でも断トツで安かったです。

 

 

家族や友達を連れてまた訪れたい街です。

 

 

カッパドキアからトビリシへの経由地だけにするのは勿体ない!!

 

 

トルコ料理

 

トルコで食べた美味しかったもの紹介🇹🇷

 

 

 

Turkish kebab (カッパドキア)

34リラ(約600円)

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少し固めに焼いてあるお肉と様々な野菜のサラダの盛り合わせ。

お肉の味は塩胡椒というシンプルな味付け

人参の酢の物とご飯がよく合う。

そんなに安くなくない?と思うかもしれませんがボリュームが凄い。

そして生野菜が食べられるのが嬉しい☺️

 

 

???  (カッパドキア)

多分300円くらい

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これもボリュームたっぷりのビーフ

塩胡椒という味付けは変わらず、 少しパサパサしている。

このお肉のパサパサ感とご飯のクリーミーさがちょうどよくて美味しかった〜

そしてこのお店のフライドポテト、太くてホクホクで塩加減が絶妙でハマってしまった。

 

 

Turkish pizza (カッパドキア)

多分400円くらい

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これはピザなんだけど丸くないピザ

横に長くてそれが食べやすい大きさに切ってある。

マルゲリータぽいのもあったり、チーズって書いてあるやつもあったけど店員さんがオススメしてくれたやつにした。

ひき肉とパクチーのような野菜が入っていて、若干味噌が香る日本人向けの味。

醤油を追加でかけたくなるような味でした( 笑 )

 

 

ギョズレメ(イスタンブール)

10リラ(約180円)

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これはトルコの屋台(特にイスタンブール)や、お店に入ると必ずといっていいほど置いてある食べ物!

皮が厚くて弾力が強いから1個でお腹いっぱい。

私が頼んだのはチーズだけど、パクチーも一緒に入ってきた。

中身がミートソースのものや、カレー味のもの、チョコ系のクレープぽいやつもあるので食べ比べてみるのも◎

 

 

豆のスープ(トラブゾン)

10リラ(約180円)

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ビーフハンバーガ

21リラ(約380円)

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これはトラブゾンの中心地にある"Cemilusta"というお店で頼んだもの。

外観も内装も高級店のようなのに値段は超リーズナブル。

私が頼んだのは豆のスープとビーフハンバーガー。

豆は多分ひよこ豆。優しい味でパンをつけて食べるのが最高。味変にレモンがついているのも飽きずに食べられるポイント。

ビーフハンバーガーはとりあえず大きい。

肉汁がすごくてお皿が油まみれになるくらいジューシーだった。

ソースは特にかかっていないのに、お肉の味とピクルスの味でちょうど良い味加減になってた。

 

メニューがトルコ語で全く読めなかったから写真で選んだんだけど大満足。

パンはどこでご飯を食べても基本付いてくるし、トラブゾンの店は水もつけてくれる。

ケチャップライスは多分スープとセットだと思う(頼んではいない)

水がついてくるの知らなくて、ブラックチェリージュース頼んだけどこれも大正解だった。

 

ちなみに全部で34リラ(約620円)😧

スープも大きくてパンが付いてくるので、この量はシェアで丁度いい、とにかく安い。

外観のオシャレな店に入っても、値段をあまり気にしなくていいのがトラブゾンの好きなところ。

ゆっくり落ち着いてトルコの街並みを見ながらディナーって18歳にしては贅沢すぎた。

 

 

左  Yemekler(トラブゾン)

13リラ(約220円)

右  Haslama(トラブゾン)

13リラ(約220円)

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これ全部で26リラ(約470円)だった。

 

ミートスープは野菜ゴロゴロで食べ応え十分。

お肉もホロホロに煮てあって寒さで凍えてた体に染みた。

こってり系のスープだったからレモン入れると全く飽きない。

右側のお皿は野菜のトマト煮込み。トマト味なんだけど少しデミグラスソースのようなコクがあってハヤシライスに近い?かな

どちらもパンをつけて食べるのがめちゃくちゃ好みだった。

 

 

testi kebab(カッパドキア)

35リラ(約630円)

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カッパドキア名物、壺ケバブ

その名の通り壺に入っているケバブ

写真は壺を半分に割ってもらった状態。

ビーフかチキンか羊肉を選べる。

トルコ人のオススメはビーフらしいので迷わずビーフ

これもまたトマトベースのスープに1口サイズのビーフや玉ねぎ、じゃがいもがゴロゴロ入っている。

壺に入っているのでずっと熱々が食べられるし、ビジュアルが面白いのでこれは必ず食べてほしい。

相変わらずお米も美味しくて丁度いい量だった。

値段は少し高めだけど名物というだけあって食べ応えがあった!

 

 

 

 

以上!私がトルコで食べた美味しかったもの紹介でした。

トルコは何を食べても基本的に正解な気がするし、日本人の口に合う料理ばかり。

値段の割に量が多くて高クオリティなので、友達なり家族なりでシェアするのがオススメです!

スイーツ編も書くと思います(多分)!

 

キリラム教の聖地アヤソフィア

 

 

トルコのカッパドキアでこのブログを書いています。

私の中でトルコはもうヨーロッパという認識だったので人が冷たいのかなと思っていました。

 

でもびっくり。

 

街を歩いていると日本語で沢山のトルコ人に話しかけられます。

イスタンブールでもカッパドキアでも。

 

イスタンブールの通りではでは、30メートル間隔くらいで握手を求められました( 笑 )

誰に聞いても日本人は大好きだよと必ず必ず答えてくれます。

 

 

日本語を話すトルコ人に何故日本語を話せるのかを尋ねると、全員日本に住んだことがある人でした。

 

 

ということはトルコは親日国、、?

 

 

調べてみると

トルコと日本が交友関係を深めた理由となる歴史的出来事を見つけました。

 

 

親日の始まりは1890年に起こった

エルトゥールル号遭難事件」

 

この有名な出来事をなぜ忘れていた自分。。

日本史選択。。

 

 

 

エルトゥールル号遭難事件」とは

1980年(明治23年)に

オスマン帝国(一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号和歌山県にある紀伊大島の海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した遭難事件です。

 

日本からの帰途、強風にあおられたエルトゥールル号紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突し、水蒸気爆発を起こしてしまいます。

その時、600人もの人が海に投げ出されたそうです。

その出来事を知った大島村(現在の串本町)の住民は総出で救助や介抱に当たります。

当時、大島村の住民は台風の影響で漁にも出られず食料の蓄えが僅かでした。

それにも関わらず遭難した人々に食料や衣類を提供し献身的に救護しました。

この事件は死亡、行方不明者587名という大事件でしたが、大島村の住民により69名の人々が無事に生還できたそうです。

 

この事件をきっかけに様々な歴史的出来事が起こり、日本とトルコは交友関係を深めていきます。

 

 

こういった歴史的出来事がトルコ人が日本を好きだという直接の理由になっているかは分かりませんが、親日国であるというか、良いイメージを日本に持ってくれていることはわかりました。

 

 

 

そんなトルコにはいくつもの世界遺産が存在します。

私が一番気になったのは今から約1500年前に建てられたアヤソフィアというイスタンブールにある博物館。

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アヤソフィアは現在は博物館として存在していますが、博物館として存在するまでの背景が面白いです。

 

 

アヤソフィアと検索すると

 

正教会(537〜1204年)

カトリック教会(1204〜1261年)

正教会(1261〜1453年)

イスラム教 モスク(1453〜1931年)

博物館(1935年〜)

 

と書かれています。

 

 

 

??????????????

 

 

 

教会でもモスクでもあった、?

どういうことだ?

と思い詳しく調べました。

 

 

 

 

実はアヤソフィア

ビザンティン帝国(東ローマ帝国)時代にはキリスト教の大聖堂として、オスマン帝国時代にはモスクとして存在していました。

 

 

中央に巨大なドームがあり、このドームがアヤソフィアの最大の特徴となっています。

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(中からみた中央のドーム)

 

このドーム

高さ56メートル、直径30メートルもあるんです。

 

重量を軽くするため、ロードス島で特別に焼かれた軽いレンガが用いられているそう。

 

現在建てられているアヤソフィアは3代目。

537年建立なのに3代目なんです。

 

アヤソフィアは元来キリスト教の大聖堂。

最初の大聖堂は首都コンスタンティノープル(後のイスタンブール)に、コンスタンティヌス大帝の子であるコンスタンティウス2世により350年に建設が始まります。

 

そしてアリウス派(イエスの神性を否定して異端とされたキリスト教の一派)僧侶の司教アンティオキアのユードクシウスによって360年に献堂されました。

その当時、アヤソフィアは単に「大聖堂」とだけ呼ばれており、再建されても常に巨大なものだったため以後もこのように呼ばれていたそう。

 

いつからアヤソフィアという呼び名になったのかは明らかになっていないそうです。

 

 

2度目に建てられたのは415年。

404年にコンスタンティノープル大主教ヨアンネス・クリュソストモス追放に伴う争乱でこの聖堂が焼失すると、テオドシウス2世によってすぐに再建が行われ415年に献堂されます。

しかしこの聖堂も532年、市民の反乱(ニカの乱)における放火で再び焼失。

 

2度の焼失を経た後、ユニティニアヌス帝は直ちに再建することを決定し537年に今のアヤソフィアの元となる大聖堂が献堂されました。

 

「大聖堂」ということはまだキリスト教のための建物であるということです。

 

時は経って1453年。

ビザンティン帝国を守っていた城壁がオスマントルコ軍に破られてしまいます。

この時も帝国に残っていた人々はアヤソフィアや他の教会で奇跡が起こるのをひたすら祈っていたといわれています。

 

しかしその願いは叶わず、トルコ軍によって首都コンスタンティノープルは荒廃してしまいます。

オスマントルコのメフメット2世は、この荒廃した街をムスリム(イスラム教徒)にとって住みやすい街にしようとすぐに改革を行いました。

それによりアヤソフィアは急遽、教会からモスクへと改造されます。

キリスト教を思わせる絵画や文字などは漆喰で塗りつぶされました。

こうしてアヤソフィアはモスクへと改造されたわけです。

 

そして時は流れ1923年、トルコ共和国が誕生します。

政教分離(政治と宗教は分離されるべきであるという考え方)をかかげ、近代化をはかったトルコの指導者(アタテュルク)は、今度はアヤソフィアをモスクから博物館へと変身させます。

漆喰がはがされ、ビザンティン帝国時代の絵画を再び見ることができるようになったわけです。

 

そんな歴史を重ねてきたため、アヤソフィアではキリスト教イスラム教を感じさせるものが同時に見られるという訳です。

 

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カタカナが多すぎて誰が誰かわからなくなりましたが、アヤソフィアが教会でもありモスクでもある理由はこのような歴史的背景があるからです。

 

 

簡潔にまとめると

キリスト教のもの(聖堂や教会)として立てられる

→トルコ軍の侵略&改革によってイスラム教のためのもの(モスク)になる

トルコ共和国が誕生し政教分離をかかげたため博物館となる

 

 

といったところかな。

 

 

 

外観はピンクやオレンジを基調としたシンプルなデザインなのですが、内観が物凄く繊細なつくりでした。

細かいステンドグラスがいくつもあったり、壁や天井にあるどんなに小さな模様でも丁寧に描かれたことが伝わってくる造りでした。

何度焼失しても建て直し、且ついかに長く存在させるかを考えながら造られたという背景を知ると、人々の宗教に対する想いの強さを感じます。

これが約1500年前に造られていたと思いながら見ていると鳥肌が止まりませんでした。

 

1500年前といえば日本は古墳時代

日本に仏教が伝わるか伝わらないかくらいの時代に、アヤソフィアは既に誕生していたわけです。

日本がどうとかいう訳ではなくて

単純に「トルコすげぇーーーーーーーーーー😧」となりました。

こういう背景を知ると実際に足を運んだときの感動が違います。

私もこの絵があの噂の!とか、あの造りが工夫したやつか!とか心の中でいちいち大興奮しながら見ていました( 笑 )

 

 

是非トルコを訪れた際は実際に足を運んでみてください。

トルコ自体が

アジアとヨーロッパのいいとこどり🎶

みたいな国なのでとても面白いです!

さんぶんのいち

 

"世界三大ウザイ国"

 

 

 

 

インドに行く前

「インド、どうでしたか?」という私の質問に対して返ってきた答えです。

 

 

 

世界三大ウザイ国とは。

世界一周旅行者の間で語り継がれる格言であり

インド、エジプト、モロッコのことを言います。

 

 

 

"ウザイ"と感じるポイントは人それぞれだと思いますが、一般的にウザイと言われる原因は

 

距離の近さ

 

ではないかと思います。

 

 

日本人はパーソナルスペースというものを気にします。

 

パーソナルスペースに他人が入ってくると不快に感じる→インド人は距離が近い→ウザイ

 

ということなのかな。

 

 

 

 

 

そんな世界三大ウザイ国と呼ばれるインドに2週間と少し滞在した感想を書きます。

 

 

 

 

インドは好き嫌いがハッキリ別れる

と今まで何人もの旅人に聞きました。

 

 

 

 

私は好き派です。

 

 

 

 

 

コルカタからブッダガヤに入り、バラナシに行って最後にデリーとアグラというルートでしたが、どの街も文句なしに最高でした。

 

 

 

 

この2週間はインドに対してもっていたイメージをいくつも覆された2週間でもありインドの国民性が大好きになった2週間でもあります。

 

 

 

 

 

ガヤでは学校見学に行きました。

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学ぶことを知らない、学校に行くことを知らない子供たちに学びの場を提供しようと、インド人のオーナーが中心となって寄付金で建てた学校です。

 

 

オーナーさんは子供たちの話を嬉しそうに話します。

知らないことを一生懸命学ぼうとする子供たちを見ているとき、学校を建てて良かったと、間違っていなかったと思えるそうです。

 

 

オーナーさんの寄付金で建てられている学校。

 

お金持ちですね、と私が言うと一瞬顔が曇ります。

もちろん褒めたつもりです。

 

返ってきた言葉は

 

「私はお金持ちではなくて心持ちだよ。」

 

でした。

 

 

 

 

どんなにお金持ちになっても死ぬ時には何も持っていくことが出来ない。

お金を貯めるよりも人を笑顔にする方が何倍も難しいんだから、僕がたまたま持っているのものでその難しいことが可能になるのならこれ以上嬉しいことはないと思う。

僕だけが寄付をしても意味が無いんだ。子供たちのことを思って寄付をしてくれたりボランティアをしてくれる人たちがいる。

その繋がりほど大切にしなければいけないものはない。

 

 

 

ここに書いてあることはほんの一部です。

 

これからもっと学校の数を増やして、学校に行けない子どもをゼロにするんだ。そのためには先生の数も増やさないとね、と学校の将来について本当にイキイキと話していました。

 

 

 

さらにバラナシでの出来事。

 

 

バラナシの街を歩いていると、日本語で沢山のインド人に話しかけられます。

 

 

その中で1人だけこの人はついて行っても大丈夫そう、と私の勘が働く人がいました。

 

 

面白そうだなと思ったので店について行ってみると、沢山の日本人が感謝を綴った分厚いノートが何冊も置いてありました。

 

 

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こんなことを書いている人が沢山。

 

 

僕は日本語が読めないからなんて書いてあるかわからないんだけどね。

みんな嬉しそうに書いてくれるから置いてるんだよ。

僕は日本が本当に好きなんだ。

僕が大好きな日本人にもインドのことを好きになって欲しいんだ。

 

と言いながらインドについての私の質問に丁寧に答えてくれました。

 

 

 

 

生きていて辛くなったときはこう考えるといいんだ。

耳が2つついている理由はね。

嫌なことを聞いた時に片方で聞いてもう片方で外に出すためだよ。

全部聞く必要はないんだ。自分がボロボロになるよりずっといい。

 

 

お店でふたりで話していて、気がついたら泣いている自分がいました。

泣いていることに自分でも驚きました。

 

何故だか分からないけど、初対面なのに、インド人の言葉はスっと入ってきます。

 

 

本当に信じていることを話してくれるから、嘘がないというか、聞いていて気持ちが良いです。

 

 

インドで騙されたという話はよく聞くけど

全員がそうな訳ではもちろんありません。

みんながみんないい人ばかりではないけれど

"インド人"という括りで人を見てはいけないなと思った旅でした。

 

 

 

それに、あのフレンドリーさはインド人にしかありません。

ウザイと括ってしまったらその先にある人の良さが見えなくなってしまうと思います。

 

 

 

私は1人でも好きだと思える人がいれば、その国に来て大正解だと思っています。

 

今日の朝インドの空港に向かいながら、

すれ違ったインド人全員に

「インド人のお陰でインドが大好きになりました。ありがとうございました。」

と心の中で呟きながら歩いていました( 笑 )

 

 

来る前までは少し不安があったインド。

出発するのが寂しくなるくらい濃い時間を過ごせました。

インドで出会ったすべての人のお陰でインドが楽しかったです。

ありがとうございました。

必ずまた来ます。

 

 

 

 

平衡を失った世界

 

 

2020/01/08 04:15

 

 

インドのコルカタに着きました。

 

 

 

 

やっと東南アジアから抜け出せました。

 

 

 

と、同時に気持ちの整理もついた。

 

 

 

 

この3ヶ月間で東南アジアのいい所を

沢山見つけることができました。

 

 

ベトナム🇻🇳は1番多くの街にいった国。

ハジャンとホイアンが好きで

美味しかったのはフォーとバインミー

苦手だったのはブンチャーかな。

日本語学校に行くという貴重な体験ができたのもベトナムでした。

 

 

ラオス🇱🇦はやっぱりルアンパバーンが好きで

でもそれと同じくらいバンビエンを好きになりました。

街の雰囲気も人も優しくてどこに行っても助けられました。

2人で Fried Lao Noodle にどハマりして毎日のように食べたのも懐かしい。

 

 

マレーシア🇲🇾はみかみ先生たちに会えるのを1番楽しみにしていたから早く行きたかった国でした。

コタキナバルでキャノピーウォークに行ったり

テングザルや蛍を見たりラフティングをしたり初めてのことが沢山できて毎日クタクタで幸せいっぱいでした。

 

 

 

インドネシア🇮🇩では念願だったバリ島に行けました。

リゾート地というイメージのバリ島で、砂風呂に連れて行って頂いたりローカルフードをみんなで食べたり人生初占いもしたな。

現地の人がご飯を手で食べていたのが1番驚いたこと。

サーフィンがしたい!というのがバリ島に行く1番の目的だったけど、ここでの出会い全てが大切な思い出になり新しい出会いへと繋げてくれました。

 

 

カンボジア🇰🇭では世界一周のうちにやりたかったホームステイができました。

とにかく気さくで面倒見のいいワナさんのお家にお世話になり、沢山食べて子どもたちと沢山遊んで、現地の人の生活に少し近づいた日々が送れたと思います。

カンボジアのローカルフード美味しかった、、🤤

 

 

そしてタイ🇹🇭

バンコクでは神谷さんに海老釣りに連れて行って頂いたり激痛足つぼを経験したりバックパッカーの聖地と呼ばれるカオサンに行ったり。

3万人もの日本人がバンコクに在住する理由がわかった日々でした。

ブログやガイドブックにあまり載っていない場所に行こうということでタイの南の方にあるハジャイに行ったあとノービザでタイにいられる期間が15日間だと思っていた私たちは急いで北にある街チェンマイへ。

 

チェンマイナイトバザールの近くに宿をとりお目当てのバザールに行った後、散歩をしていて見つけたナイトマーケットに入って生演奏を聴きながら2人でゆっくりしたチェンマイ一日目の夜。

チェンマイにもう少し長く居たいと思った日でもあります。

 

 

その次の日からチェンマイでお世話になったのが

日本人宿のコヤニスカッティゲストハウス

 

 

ヒロさんとやすこさんの仲良し夫婦が経営している宿です。

 

 

 

 

私たちが日本人宿に泊まる理由は情報が欲しいから。

 

 

チェンマイコヤニスカッティという日本人宿があるというのは聞いていました。

 

 

 

 

 

なぜか聞いたことがあるかというとバリ島に遡り、、、

 

 

 

 

バリ島で出会ったやな先輩にカンボジアに行くと言ったらシェムリアップ

BLANK GUEST HOUSE

っていう沈没する人続出の日本人宿があるよと言われ

 

BLANK GUEST HOUSE に泊まった際に次はバンコクに行くと言うとカオサンでは

ロングラックゲストハウス

っていう常に予約でいっぱいの日本人宿に泊まるのがオススメだよと言われ

 

ロングラックゲストハウスに泊まった際に次はチェンマイに行くと言うとチェンマイには

コヤニスカッティゲストハウス

っていう面白い日本人宿があるから行ってみたらいいよと言われ

 

コヤニスカッティに辿り着いた訳です。

 

 

 

基本的に booking.con というアプリを使って宿をとるため、日本人宿にはあまり泊まる機会が無い私たち。(アプリでは日本人宿は表示されない)

 

コヤニスカッティゲストハウスに辿り着いたのは口コミって訳なのです。

 

 

 

とは言っても先程も書いたように

タイにノービザでいられる期間が15日間だと思っていたので、あと2泊でタイを出るしこのままナイトバザールの近くの宿に延泊でもいいかなあと思っていました。

 

 

 

じゃあなぜコヤニスカッティに行ったのか

 

と言いますと、

 

 

これまたバリ島まで遡ります。

 

 

 

実はバリ島でやな先輩の他にも、色々な日本人の方と出会っていました。

 

 

 

その中の一人がしんじろうさん。

 

 

しんじろうさんがコヤニスカッティ

スタッフをしているという情報をしんじろうさんのインスタグラムで取得。

 

その楽しそうな写真やストーリーを見て

再会したいし宿も気になるから泊まってみよう!

と思ってコヤニスカッティに行きました。

 

 

 

ふう。ここまででもう2000文字。

 

 

 

 

自分の中の気持ちに整理をつけてインドに来たけどそれも「つもり」だったみたいです。

 

 

 

ここまでで一旦終了。

 

また改めてコヤニスカッティについて続編と称して書きます。

 

 

 

 

昼間から目が腫れるのは困るので( 笑 )

 

結局何が言いたかったのかわからなくなるのはいつものことなんだけど今回は磨きがかかっている

皆さんが考え事をするのはいつですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

私はよくお風呂の中で考え事をします。

 

 

1日の出来事や悩みとか明日何しようとか

全部お風呂の中で思い浮かびます。

 

 

意識している訳ではなく

頭が勝手に考えたり悩んだりしています。

 

 

1日には沢山の出来事があります。

嬉しいことも楽しいことも悲しいこともしんどいことも。

 

 

その場その場でそれぞれの感情があることは確かです。

 

でもあらゆる感情が最大になるのが私はお風呂の中なのです。

 

 

例えば傷つくことが1日の中でAとBふたつあったとして。

 

その場ではAの方が傷ついたはずなのに

お風呂の中で思い出すのはBの方。

 

不思議だなあと思っています。

 

 

しかも1日ひとつなんです。

 

 

 

考え事しよう!とか1日振り返ろう!とか

意識していないからコントロールできない。

 

 

 

意識していない時の感情って素直だなあと。

 

 

誰かが放った些細なことに意外と傷ついていたり

一緒に喜んだはずなのに実は素直に喜べていなかったり。

 

 

その場で表した感情は決して嘘ではないけど後から振り返ると少し異なっていたりします。

 

 

 

不思議だなあと、面白いなあと。

 

 

 

苦しかったことが浮かんできた時はただ思い出すだけだけど

喜びと怒りの感情が浮かんできた時はそれを文字に起こしたくなります。

 

 

怒りの感情は文字にすることで和らぐし

喜びの感情は文字にすると余計に嬉しくなってそのまま友達に送ったりSNSにあげたりします( 笑 )

 

 

 

 

で、何が言いたいのかよく分からなくなってきたんですが( 笑 )

 

 

 

つまりは色々な場面で表した感情が

本当だったのか、というか心からそう思えていたかという答え合わせをされるのがお風呂の中。

 

 

自分でも怖かったりします。

 

 

自分の中にある嫉妬とか不安とかが浮き彫りになるから。

 

 

 

でも幸いなことに思い出すことの大半が

「楽しかったこと」なので毎日気分よく1日を終えられます。

 

 

最後に思い出すことが楽しいことであれば

何があったとしてもその1日は大成功な日。

 

 

そう思わせてくれる家族や友達に大感謝です。

 

 

 

 

そしてタイの町がクリスマス仕様になってきて

自分が半袖半ズボンなことに違和感を覚えた今日。

 

 

 

この時期にここにいるなんて

自分がいちばん想像していなかった。

 

 

毎日毎日毎秒毎秒

 

世界中で自分がいちばん幸せ!!!!

 

と本気で思っています。

 

 

旅している間ってなんでも出来るって本気で思えてしまいます。

 

今ならなりたい職業になんでもなれる気がするし

やりたいことも欲しいものも全部願い通りになる気がします。

 

 

この前バリで占いをして貰った時

人生の欲っていう項目が円グラフで示されるんですけど

 

占い師さんが一言

「面白いですから良く見ててくださいね」と。

 

f:id:zakinako:20191218002916j:image

 

 

これが私の結果でした。

 

70%:遊び

20%:自律心

10%:人脈

 

占い師さん曰く、私は

「人を巻き込みながら地球に遊びに来た人」

らしいです( 笑 )

 

 

エイリアンか何かかな、?( 笑 )

 

 

 

楽しいことが1番の優先順位。

 

体質的(?)には苦手なことなはずなのに

「楽しい、ワクワクする」という感情が勝つことは苦手と感じない。

 

だから自分が楽しいと思うことをやり続けなさいと言われました。

 

 

ただ遊んでいる人のように聞こえるけど

私は背中を押されたような気分でした。

 

 

楽しいと思うことは人それぞれ。

 

私にとっては楽しいけれど他の人にとってはやりたくないことかもしれない。

 

楽しく努力できるなら、楽しく毎日進んでいけるなら、これに越したことはありません。

 

わざわざ苦しむ必要なんかない。

 

 

 

 

私の偏見なんですが

 

苦しんでいるほうが良い

 

みたいな風潮がある気がします。

 

 

 

 

私の世界というのは学校という小さい世界なのですが

 

例えばこの時期で行くと受験。

 

「推薦で受かるよりセンター試験を受けて受かる方が良い」

 

「推薦を受けようとする人は願書を出しただけで安心してしまうからダメ」

 

「推薦を受けたからと言ってチャンスが広がると思うな」

 

だって。

 

こんな言葉をこの時期に

学校の先生にわざわざ集められて

自信満々に言われたら

 

推薦=ダメなこと

 

と思ってしまいます。

 

 

 

推薦を受けることによるデメリットはあるかもしれません。

 

 

 

そもそも推薦が存在するってことは

誰かが受けるためにあるんだし

受けちゃいけない人が居るわけないし

わざわざ否定される必要はない

 

 

 

こういう理由があるから受けない方がいい

 

っていう言い方より

 

受ける人はダメ

 

っていう言い方をするのは何故?

 

 

推薦を考えていた人が願書を出しにくくなるのは当然だし諦める人も出てくるかもしれない。

 

 

それで後悔する人が出てくるかもしれない。

 

その責任を負う覚悟で発言しているのか

 

と最近ずっと疑問に思います。

 

 

これ以上はただの愚痴になりそうなので

辞めておきます( 笑 )

 

 

18歳っていっても

大人からの影響は凄いです。

 

今年に限っては受験を受けない私からしたら

友達が悩んでいるのを見て

余計なことしか言わない大人は口を塞いでいてくださいって思ってます。

 

 

長くなりすぎました。

 

 

最後に

この時期に私が言ったら嫌味に聞こえるかなと思うからここにそっと書いておきます。

 

 

同級生全員が後悔のない道に進めますように。

 

 

私はみんなと一緒に卒業することが出来ないけど、みんなに追いつけるように頑張ります。

 

後輩になるけど仲良くしてね。

 

 

元気?とか無事に帰って来てねとか

言ってくれてありがとう。

 

優しい友達を沢山持てて幸せです。

 

本気で本気で応援しています。